交渉の基礎語彙(最小モデル)

本書は「交渉を設計可能なプロセス」として扱う。その前提として、最低限の共通語彙を整理しておく。

このページの目的は、交渉理論を網羅することではない。本文と付録のテンプレートを読み解くために必要な語彙を、過不足なく揃えることである。

このページでできるようになること

  • 「立場(Position)」と「利害(Interest)」を区別して整理できる。
  • BATNA(代替案)と最低受容ラインを、交渉準備テンプレートに落とし込める。
  • ZOPA(合意可能領域)を意識して、譲歩や条件提示を設計できる。

1. 立場(Position)と利害(Interest)

  • 立場(Position): 交渉の場で表に出ている要求である。例: 「期限を延ばしてほしい」「予算を増やしてほしい」。
  • 利害(Interest): 立場の背後にある理由・制約・期待である。例: 「障害リスクを下げたい」「監査に通る状態にしたい」「評価指標を守りたい」。

本書の実務で重要なのは、立場のぶつかり合いから入らず、利害を早い段階で言語化して共有することである。エンジニアであれば「要求(API)」「制約(Contract)」「非機能(NFR)」の整理に近い。

2. BATNA(最良の代替案)と最低受容ライン

交渉では「合意できない場合にどうするか」を事前に決めておく必要がある。

  • BATNA(Best Alternative to a Negotiated Agreement): 合意できない場合の、現実的な代替案である。 例: 「段階移行が通らないなら、最小構成のハイブリッドで延命する」。
  • 最低受容ライン: これを下回るなら合意しない、という境界である。 例: 「監査要件を満たさない運用は受けない」「24/7オンコールを追加で引き受けるなら人員増が前提」。

付録のテンプレートでは、最低限 batna: を埋めることが、交渉の安全弁になる。

3. ZOPA(合意可能領域)

  • ZOPA(Zone Of Possible Agreement): 両者が受け入れ可能な条件が重なっている領域である。

ZOPAが存在しない場合、説得の問題ではなく「条件設計(スコープ/期限/品質/責任分界/段階化)」の問題である。エンジニア視点では、要件の分割や段階リリースで ZOPA を作りにいく発想が有効である。

4. アンカリング(初期提示の作用)

初期の数字や条件が「基準点」として残り、以降の議論を無意識に引き寄せる現象である。

本書の文脈では、アンカーを「強引に押し付ける武器」ではなく、「議論の土台(前提・比較軸)を共有する手段」として扱うのが安全である。たとえば、見積もりの議論では「前提条件の一覧」を先に提示し、比較軸を固定する。

5. 譲歩設計(Concession Design)

譲歩は、その場の雰囲気で出すものではない。譲歩するなら、以下を事前に設計する。

  • 何を(スコープ/期限/品質/優先度/責任分界/運用負荷など)
  • どの順番で(価値の高いカードを先に切らない)
  • どの条件付きで(条件が満たされない場合のロールバック)

譲歩設計は、第3章「反復的合意形成」と第6章「交渉パイプラインの構築」と強く接続する。

6. 合意の定義(Doneの定義)

交渉の合意は「雰囲気」では完了しない。合意の成立条件を、実務上のDoneとして定義しておく。

  • 誰が決めるか(意思決定者)
  • 何が決まれば完了か(承認範囲)
  • どの形式で残すか(議事録/Design Doc/Issue/契約書など)

本書のテンプレートは、このDoneを「文書として再現可能にする」ための補助輪である。


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