第4章:東洋の島国から世界を変えた技術者
〜嶋正利(1943-)・高橋秀俊(1915-1985)〜
ドラマチックな導入
1969年4月、カリフォルニア州マウンテンビュー。Intel本社の会議室で、アメリカ人エンジニアたちが困惑していた。テーブルの上に置かれた設計仕様書は、彼らがこれまで見たことのないほど複雑で野心的なものだった。
「12種類のチップを1つにまとめて欲しい」—日本のビジコン社から派遣された若いエンジニアが、流暢ではない英語で説明していた。嶋正利、25歳。彼が持参した電卓用LSIの設計案は、当時の常識を超えていた。
Intel の創業者ロバート・ノイスは首を振った。「不可能だ。そんな複雑な回路を1つのチップに収めることなどできない」
しかし、嶋は諦めなかった。「日本では『できない』という言葉は使いません。必ず方法があるはずです」
この会議から2年後、世界初のマイクロプロセッサ「Intel 4004」が誕生した。現代のスマートフォン、パソコン、IoTデバイス—すべてのデジタル機器の心臓部となる技術の原点は、太平洋の向こうの小さな島国から来た技術者の「諦めない心」にあったのである。
同じ頃、東京大学では65歳の高橋秀俊教授が、日本独自のコンピュータ技術の確立に向けて最後の挑戦を続けていた。戦後の焼け野原から立ち上がった日本が、いかにして世界の技術大国となったのか。その物語の中心には、常に「ものづくりへの情熱」があった。
4.1 日本のコンピュータ開発の黎明期
戦後復興とコンピュータ技術
1945年8月15日、日本の敗戦により第二次世界大戦が終結した。東京をはじめとする主要都市は空襲により焼け野原となり、日本の科学技術研究は壊滅的な打撃を受けていた。
しかし、戦争末期に軍事技術の開発に携わっていた一部の技術者たちは、戦後の復興を見据えて新しい技術への挑戦を考えていた。その中心人物の一人が、高橋秀俊だった。
高橋秀俊(1915-1985)は、東京帝国大学で物理学を学び、戦時中は海軍技術研究所でレーダー技術の研究に従事していた。戦後、彼は新しい計算技術—「電子計算機」の可能性に注目した。
1946年、高橋は占領軍の資料でアメリカのENIAC(Electronic Numerical Integrator and Computer)について知った。「電子管を使って高速計算を行う機械」—この概念は、戦時中にレーダーの複雑な計算に苦労していた高橋には、革命的なものに見えた。
「日本も独自の電子計算機を開発しなければならない」—高橋は確信した。しかし、当時の日本にはそのための技術的基盤も、資金も不足していた。
高橋秀俊とETL Mark III
1952年、高橋は電気試験所(ETL:Electrotechnical Laboratory)に移り、本格的なコンピュータ開発を開始した。ETL は通商産業省(現在の経済産業省)傘下の国立研究機関で、日本の技術開発の中核を担っていた。
高橋の最初の挑戦は「ETL Mark I」だった。これは、真空管を使用した実験的な計算機で、基本的な演算機能のみを持っていた。技術的には原始的だったが、日本初の電子計算機として重要な意味を持っていた。
1954年、より本格的な「ETL Mark II」が完成した。この機械は以下の特徴を持っていた:
- 真空管:約1,000本
- 記憶容量:1,024ワード(現在のキロバイト相当)
- 演算速度:毎秒約40回の加算
- プログラム方式:ストアード・プログラム方式を採用
Mark II の完成により、日本はようやく実用的なコンピュータを持つことができた。しかし、高橋の野心はそれで満足するものではなかった。
1957年、高橋の集大成である「ETL Mark III」が完成した。この機械は、当時の国際水準に匹敵する性能を持っていた:
ETL Mark III の仕様:
- 真空管:約3,000本
- 記憶装置:磁気ドラム(8,192ワード)
- 演算速度:毎秒1,000回の加算
- 入出力:穿孔テープ、印刷機
- プログラミング:アセンブリ言語対応
Mark III は、日本のコンピュータ技術が世界水準に達したことを証明する記念碑的な成果だった。しかし、より重要だったのは、この開発過程で培われた技術者たちの経験と知識だった。
日本初のコンピュータ「FUJIC」
ETL での開発と並行して、民間企業でも独自のコンピュータ開発が進んでいた。1954年、富士写真フイルム(現在の富士フイルム)が「FUJIC(Fuji Automatic Computer)」を完成させた。
FUJIC は純粋に民間企業が開発した日本初のコンピュータだった。開発の目的は、写真レンズの設計計算を自動化することだった。手計算では数ヶ月かかるレンズ設計を、数時間で完了させることを目標としていた。
FUJIC の特徴:
- 用途特化:光学計算に最適化
- 高精度:小数点以下10桁の精度
- コンパクト設計:真空管約3,000本(当時としては小型)
- 実用性重視:理論よりも実際の問題解決を優先
FUJIC の成功は、日本の企業がコンピュータ技術を「実用的な道具」として活用できることを示した。これは、後の日本のコンピュータ産業発展の重要な土台となった。
欧米技術の導入と独自発展
1950年代後半、日本政府は積極的な技術導入政策を開始した。IBM、バロウズ、ユニヴァックなどのアメリカ企業から技術供与を受け、日本企業がそれを改良・発展させる戦略を採用した。
主要な技術導入事例:
日本IBM(1960年設立):
- IBM 1401、IBM 1460の日本市場投入
- 日本独自の改良(漢字処理能力など)
- 保守・サポート体制の構築
東芝:
- GE(ゼネラル・エレクトリック)との技術提携
- TOSBAC シリーズの開発
- 産業用制御コンピュータへの特化
日立:
- RCA との技術提携
- HITAC シリーズの開発
- 大型汎用機への挑戦
富士通:
- シーメンス(ドイツ)との技術提携
- FACOM シリーズの開発
- 通信技術との融合
この技術導入戦略は、「学習→改良→独自発展」という日本企業独特のパターンを確立した。単なる模倣ではなく、日本市場のニーズに合わせた改良と、さらなる技術革新が行われた。
[図解:初期日本製コンピュータの系譜]
日本のコンピュータ開発系譜(1950-1970年):
政府系研究機関:
ETL Mark I (1952) → ETL Mark II (1954) → ETL Mark III (1957)
│ │ │
└─ 基礎技術確立 ──┴─ 実用性向上 ──┴─ 国際水準達成
民間企業(独自開発):
FUJIC (1954) → 各社独自路線
│
富士フイルム → 光学計算特化
民間企業(技術導入):
IBM技術 → 日本IBM → 改良・日本化
GE技術 → 東芝 → TOSBAC系列
RCA技術 → 日立 → HITAC系列
シーメンス技術 → 富士通 → FACOM系列
特徴の進化:
技術模倣 → 改良・最適化 → 独自技術 → 世界展開
技術者教育システムの発達
日本のコンピュータ技術発展において重要だったのは、体系的な技術者教育システムの構築だった。高橋秀俊をはじめとする先駆者たちは、単に技術開発を行うだけでなく、次世代の技術者育成にも力を注いだ。
大学での教育体制:
- 東京大学:高橋秀俊を中心とした計算機科学科の設立
- 東京工業大学:実用的なプログラミング教育
- 京都大学:理論計算機科学の研究
- 大阪大学:ハードウェア技術の専門教育
企業内教育システム:
- 新入社員研修:コンピュータ基礎知識の体系的教育
- 技術者交流:企業間での技術者交換研修
- 海外研修:アメリカ・ヨーロッパでの最新技術習得
- 社内技術発表会:知識共有と技術向上
政府支援プログラム:
- 情報処理技術者試験:技術者のスキル標準化
- 研究開発補助金:産学連携プロジェクト支援
- 技術交流事業:国際会議参加支援
この教育システムにより、日本は短期間で大量の優秀なコンピュータ技術者を育成することができた。この人材がその後の日本の技術発展を支える原動力となった。
1960年代末、この教育システムから一人の優秀な若手エンジニアが巣立った。嶋正利である。彼は日本の「ものづくり精神」を背負って、太平洋を渡ることになる。
4.2 マイクロプロセッサを共同発明した男
嶋正利の半導体エンジニアとしての道のり
1943年8月22日、嶋正利は静岡県浜松市で生まれた。父親は小さな町工場を営む職人で、幼い頃から嶋は精密な機械工作に親しんでいた。「なぜこの歯車はこの形なのか?」「この部品をもっと小さくできないのか?」—嶋の好奇心は、常に「より良いものづくり」に向かっていた。
1966年、嶋は東北大学工学部電子工学科を卒業し、ビジコン(日本計算器株式会社)に入社した。ビジコンは1967年に設立されたばかりのベンチャー企業で、電子卓上計算機の開発・製造を行っていた。
当時の電子計算機は、まだ非常に大型で高価だった。ビジコンの目標は、「机の上に置ける小型の計算機」を開発することだった。しかし、これを実現するためには、従来の技術では限界があった。
嶋が入社した1960年代後半、電子計算機は以下のような状況だった:
大型コンピュータ(メインフレーム):
- 設置面積:数十平方メートル
- 価格:数億円
- 消費電力:数十キロワット
- 用途:科学計算、大企業の業務処理
小型計算機(ミニコンピュータ):
- 設置面積:数平方メートル
- 価格:数千万円
- 消費電力:数キロワット
- 用途:中小企業の業務処理、制御用途
電子卓上計算機(目標):
- 設置面積:机上(A4サイズ程度)
- 価格:数十万円
- 消費電力:数十ワット
- 用途:個人・小規模事業所での計算
この「電子卓上計算機」を実現するためには、従来の技術を根本的に見直す必要があった。
Intel 4004開発プロジェクト
1969年、ビジコンは革新的な電子計算機「141-PF」の開発を開始した。この計算機の特徴は、LSI(Large Scale Integration:大規模集積回路)を使用することだった。しかし、当時の日本にはLSI製造技術が不足していた。
ビジコンの経営陣は、アメリカのIntel社との協力を決定した。Intel は1968年に設立されたばかりのベンチャー企業だったが、優れた半導体技術を持っていた。
1969年4月、嶋正利は技術責任者としてアメリカに派遣された。25歳の若手エンジニアが、Intel本社での技術交渉を任されたのである。
嶋が持参した設計仕様は、Intel のエンジニアたちを驚かせた:
ビジコンの要求仕様:
- 12種類のチップ:異なる機能を持つ12個のLSI
- 高性能:複雑な計算を高速実行
- 低消費電力:電池駆動可能
- 小型化:できるだけ少ないチップ数
Intel側の担当者テッド・ホフは、この要求を聞いて困惑した。「12種類ものチップを設計するのは複雑すぎる。開発期間も費用も膨大になってしまう」
しかし、嶋は妥協しなかった。「日本の計算機市場では、この性能が必須です。何とか実現してください」
ビジコンとIntelの協力
数週間の議論の後、テッド・ホフは革命的なアイデアを提案した:「12種類のチップを1つの汎用チップで実現してはどうか?プログラムを変更することで、異なる機能を実現するのです」
これは「マイクロプロセッサ」の概念だった。ハードウェアを固定せず、ソフトウェア(プログラム)により機能を変更できる集積回路である。
嶋は即座にこのアイデアの価値を理解した。これは単なる電卓用チップではなく、あらゆる電子機器に応用できる汎用技術だった。
しかし、技術的な課題は山積していた:
設計上の課題:
- 集積度の限界:1つのチップに数千個のトランジスタを集積
- 動作速度:十分な計算速度の確保
- 消費電力:電池駆動に適した低消費電力
- 製造歩留まり:量産可能な品質確保
アーキテクチャの課題:
- 命令セット:プロセッサが理解できる命令の設計
- メモリ構成:プログラムとデータの格納方式
- 入出力:外部機器との接続方法
- 割り込み処理:緊急処理への対応
嶋とテッド・ホフは、1年以上にわたってこれらの課題に取り組んだ。言語の壁、文化の違い、技術的な困難—多くの障害があったが、両者の技術への情熱がそれを乗り越えた。
「世界初のマイクロプロセッサ」誕生秘話
1970年末、ついに最初のプロトタイプが完成した。Intel 4004—世界初のマイクロプロセッサである。
Intel 4004の仕様:
- プロセス技術:10マイクロメートル
- トランジスタ数:2,300個
- 動作周波数:750kHz
- データ幅:4ビット
- アドレス空間:4,096バイト
- 命令数:46種類
現代の基準では極めて原始的だが、当時としては革命的な成果だった。手のひらサイズのチップが、従来の大型コンピュータと同等の処理能力を持っていたのである。
しかし、4004の開発過程で重要だったのは、技術的成果だけではなかった。嶋正利とテッド・ホフの協力は、日米の技術者文化の融合を示していた:
日本の技術文化(嶋の貢献):
- 完璧主義:細部まで徹底的に検討
- 継続的改善:小さな改良の積み重ね
- 品質重視:製造歩留まりと信頼性の追求
- 実用性:実際の製品への応用を常に意識
アメリカの技術文化(ホフの貢献):
- 革新性:既存の概念を根本から見直し
- 理論的アプローチ:数学的・論理的な設計手法
- スピード重視:迅速な意思決定と実行
- スケーラビリティ:将来の拡張性を考慮した設計
この文化融合により、4004は単なる技術的成果を超えた価値を持つことになった。
特許問題と国際的評価
4004の成功により、マイクロプロセッサ技術の特許が重要な問題となった。この技術は、将来の情報産業全体を左右する可能性があったからである。
当初、Intel とビジコンの間では、4004の独占販売権はビジコンが持つという契約になっていた。しかし、Intel の経営陣は、この技術のより広い応用可能性を理解していた。
1971年、長期間の交渉の結果、新しい合意が成立した:
- ビジコン:電卓分野での独占使用権
- Intel:その他の分野での販売権
- 特許:共同所有
この合意により、4004は広く市場に普及することができた。そして、マイクロプロセッサという新しい産業分野が誕生した。
嶋正利の貢献は、国際的に高く評価された:
受賞歴:
- IEEE マイルストーン賞(2009年):技術史における重要な貢献
- コンピュータ歴史博物館:殿堂入り(2010年)
- 情報処理学会功績賞:日本の情報処理技術発展への貢献
現代の評価:
- 「マイクロプロセッサの父」:テッド・ホフと並ぶ評価
- 日米技術協力の象徴:文化を超えた技術革新の例
- 実用的イノベーション:理論ではなく実際の製品化を重視
[現代との接続:スマートフォンチップまでの発展]
Intel 4004から現代のスマートフォンチップまで、50年以上にわたる技術進化は驚異的である:
技術進歩の比較(4004 vs 最新チップ):
項目 | Intel 4004 (1971) | iPhone 15 Pro (A17 Pro, 2023) |
---|---|---|
プロセス技術 | 10μm | 3nm |
トランジスタ数 | 2,300個 | 190億個 |
動作周波数 | 750kHz | 3.78GHz |
データ幅 | 4ビット | 64ビット |
性能比 | 基準 | 約1億倍 |
この進歩は「ムーアの法則」(2年で性能が2倍)を上回るペースで続いている。
現代への応用例:
- スマートフォン:通信・計算・エンターテイメント
- 自動車:エンジン制御・自動運転・インフォテイメント
- IoT機器:センサー・制御・通信
- AI チップ:機械学習・ディープラーニング専用プロセッサ
4004で始まった「小型・高性能・低消費電力」の追求は、現在でもチップ設計の基本方針となっている。嶋正利が1970年に描いた「手のひらサイズのコンピュータ」という夢は、現在のスマートフォンとして実現されている。
4.3 日本の半導体産業の基盤構築
1970年代の日本の技術力向上
Intel 4004の成功により、嶋正利は日本に帰国後、半導体技術の普及と発展に尽力した。1970年代の日本は、高度経済成長の真っ只中にあり、技術立国への道を歩んでいた。
日本の半導体産業は、以下の要因により急速に発展した:
政府の産業政策:
- VLSI(超LSI)技術研究組合(1976年設立):官民共同の大型プロジェクト
- 研究開発補助金:基礎研究から実用化まで一貫支援
- 技術者育成:大学・企業での専門教育拡充
- 国際競争力強化:輸出産業としての位置づけ
企業の技術投資:
- NEC:マイクロプロセッサとメモリの両面展開
- 東芝:フラッシュメモリ技術の開発
- 日立:大容量メモリと高性能プロセッサ
- 富士通:通信用半導体への特化
大学の研究力:
- 東京大学:半導体デバイス物理の基礎研究
- 東京工業大学:プロセス技術の実用化研究
- 東北大学:材料科学と製造技術
- 京都大学:回路設計とシステム最適化
品質管理と製造技術の革新
日本の半導体産業が世界的な競争力を獲得した要因の一つは、優れた品質管理と製造技術だった。これは、戦後の日本製造業が培った「ものづくり精神」の応用だった。
日本式品質管理の特徴:
統計的品質管理(SQC):
- 全数検査:すべての製品の品質確認
- 工程管理:製造過程での品質監視
- 予防保全:故障の事前防止
- 継続的改善:小さな改善の積み重ね
現場主義:
- 現場・現物・現実:実際の状況に基づく判断
- ボトムアップ改善:作業者からの提案重視
- チームワーク:部門を超えた協力体制
- 技能の伝承:ベテランから若手への技術継承
ゼロディフェクト運動:
- 「不良品ゼロ」の追求:妥協のない品質目標
- 源流管理:問題の根本原因除去
- 再発防止:同じ問題の繰り返し防止
- 品質コスト削減:品質向上による効率化
これらの手法により、日本製半導体の品質は世界最高水準となった。1980年代には、「Made in Japan」が高品質の代名詞となった。
世界市場でのプレゼンス確立
1980年代、日本の半導体産業は世界市場で圧倒的な地位を確立した。特にメモリ半導体(DRAM)分野では、日本企業が世界シェアの80%以上を占めるまでになった。
日本企業の世界シェア(1980年代後半):
- NEC:世界第1位(約20%)
- 東芝:世界第2位(約15%)
- 日立:世界第3位(約12%)
- 三菱電機:世界第5位(約8%)
- 富士通:世界第6位(約7%)
この成功の背景には、以下の戦略があった:
大量生産技術:
- 8インチウェーハー:当時最大の基板サイズ
- 自動化ライン:人的ミスの排除と効率化
- クリーンルーム技術:超清浄な製造環境
- 歩留まり向上:製造良品率90%以上を実現
顧客密着型営業:
- カスタマイズ対応:顧客仕様への柔軟な対応
- 技術サポート:設計から量産まで一貫支援
- 品質保証:長期信頼性の確保
- 供給責任:安定した製品供給
長期的投資:
- 設備投資:売上の30-40%を設備投資に充当
- 研究開発:次世代技術への継続的投資
- 人材育成:技術者の長期的な能力向上
- 技術蓄積:ノウハウの組織的継承
技術者教育システムの構築
日本の半導体産業の成功を支えたのは、優秀な技術者を継続的に育成するシステムだった。嶋正利をはじめとする先駆者たちは、次世代の育成にも力を注いだ。
企業内教育の特徴:
新人研修制度:
- 基礎教育:半導体物理、回路設計、製造技術
- 実習教育:実際の製造ラインでの経験
- 海外研修:最新技術動向の習得
- メンター制度:先輩技術者による指導
技能検定制度:
- レベル別認定:技術習熟度の客観的評価
- 専門分野別認定:設計、製造、品質管理等
- 昇進・昇格との連動:能力に応じたキャリアパス
- 継続教育:最新技術への継続的対応
大学との連携:
- 共同研究プロジェクト:産学連携による技術開発
- インターンシップ:学生の実務経験機会
- 寄付講座:企業ニーズに対応した教育
- 人材交流:大学と企業間の人的交流
国際技術交流:
- 学会参加:IEEE、ISSCC等での発表・交流
- 技術者派遣:海外企業・研究機関での研修
- 招聘研修:海外専門家による技術指導
- 共同開発:国際的な技術協力プロジェクト
このシステムにより、日本は半導体技術者の「層の厚さ」で世界をリードした。基礎から応用まで、幅広い技術領域で高いレベルの人材を確保できたことが、産業全体の競争力向上につながった。
[現代における日本の半導体産業の位置]
1990年代以降、日本の半導体産業は大きな変化を経験した。韓国、台湾、中国などの新興国の台頭により、メモリ分野での優位性は失われた。しかし、日本企業は以下の分野で独自の地位を築いている:
現在の日本の強み:
- 車載用半導体:自動車の電子化に対応した高信頼性チップ
- センサー:CMOS イメージセンサー、MEMS センサー
- パワー半導体:電力変換用の高効率チップ
- 製造装置・材料:半導体製造に必要な装置・材料
代表的企業の現状:
- ソニー:イメージセンサー世界シェア約50%
- ルネサス:車載用マイコン世界シェア約30%
- ロームグループ:パワー半導体で世界上位
- 信越化学:半導体材料(シリコンウェーハー)世界首位
嶋正利が1970年代に始めた「日本の半導体技術」は、形を変えながら現在でも世界に重要な貢献を続けている。
4.4 ものづくり精神の継承
精密加工技術の蓄積
日本の半導体産業の成功は、単独で生まれたものではなかった。江戸時代から続く精密加工技術、明治時代の殖産興業政策、戦後の製造業復活—これらすべての蓄積の上に築かれたものだった。
伝統的ものづくりの要素:
職人気質:
- 完璧主義:妥協を許さない品質追求
- 継続的改善:「より良いもの」への絶えざる挑戦
- 技能の継承:師匠から弟子への技術伝承
- 道具への愛着:使用する機器・工具への深い理解
チームワーク文化:
- 協調性:個人よりもチーム全体の成果重視
- 情報共有:技術ノウハウの組織内展開
- 相互支援:困った時の助け合い精神
- 集団責任:問題への共同対処
現場主義:
- 三現主義:現場・現物・現実に基づく判断
- 改善提案:現場からのボトムアップ改革
- 予防保全:問題の事前防止
- 標準化:ベストプラクティスの共有
チームワークと改善文化
1970年代から80年代にかけて、日本の製造業は「TQC(Total Quality Control)」や「TPS(Toyota Production System)」などの管理手法を発展させた。これらの手法は、半導体産業にも大きな影響を与えた。
TQC の半導体産業への応用:
QC サークル活動:
- 小集団改善活動:現場レベルでの品質向上
- 問題解決手法:統計的手法を使った原因分析
- 発表大会:改善事例の共有と競争
- 継続的教育:QC 手法の習得と実践
統計的工程管理:
- SPC(Statistical Process Control):製造プロセスの統計的監視
- 実験計画法:効率的な条件最適化
- 信頼性工学:故障率の予測と改善
- 品質機能展開:顧客要求の設計反映
ポカヨケ(防錯):
- 自動検出:人的ミスの機械的防止
- フェイルセーフ:故障時の安全確保
- 設計段階での予防:問題の事前排除
- 作業標準化:誰でも同じ品質を実現
現代日本のIT産業への影響
1980年代の半導体産業の成功は、その後の日本のIT産業発展にも大きな影響を与えた。「ものづくり精神」は、ハードウェアからソフトウェア、サービス産業へと応用されていった。
現代への継承例:
自動車産業:
- ハイブリッド技術:トヨタ、ホンダの世界的成功
- 電動化技術:バッテリー、モーター制御
- 自動運転:AI と制御技術の融合
- コネクテッドカー:通信・情報処理技術
ロボット産業:
- 産業用ロボット:ファナック、安川電機の世界シェア
- サービスロボット:介護、清掃、警備用途
- ヒューマノイドロボット:ホンダASIMO、ソフトバンクPepper
- AI ロボット:機械学習による知能化
エレクトロニクス:
- デジタルカメラ:キヤノン、ニコン、ソニーの技術力
- ゲーム機:任天堂、ソニーの革新的ハードウェア
- 精密機器:測定機器、分析装置での世界的地位
- 部品産業:電子部品、材料での高いシェア
ソフトウェア・サービス:
- 品質重視:バグの少ない堅牢なシステム
- ユーザビリティ:使いやすさへのこだわり
- 継続的改善:アップデートによる機能向上
- カスタマーサポート:手厚いユーザーサポート
次世代への技術継承
現在、日本のIT産業は新たな挑戦に直面している。AI、IoT、量子コンピューティングなどの新技術への対応、グローバル競争の激化、人材不足などの課題がある。
しかし、嶋正利や高橋秀俊が示した「ものづくり精神」は、これらの課題解決の基盤となっている:
現代への適用例:
AI 技術開発:
- Preferred Networks:深層学習フレームワーク「Chainer」開発
- ファナック:工場AI による製造自動化
- トヨタ:自動運転AI の研究開発
- NTT:自然言語処理AI の実用化
IoT・組み込みシステム:
- ルネサス:IoT 向けマイコンの開発
- 村田製作所:センサー・通信モジュール
- 京セラ:産業用IoT ソリューション
- オムロン:制御・センシング技術
新材料・デバイス:
- 東京大学:量子ドット技術の研究
- 理化学研究所:グラフェン素子の開発
- NTT:光量子コンピュータ技術
- 富士フイルム:有機EL 材料技術
国際協力・技術交流:
- 産学連携:大学と企業の共同研究拡大
- 国際共同開発:グローバルな技術協力
- 人材交流:国際的な技術者交換
- 標準化活動:国際標準への積極的参画
現代への示唆
嶋正利と高橋秀俊の物語が現代に与える示唆は以下の通りである:
技術開発の原則:
- 実用性の重視:理論よりも実際の問題解決
- 品質への妥協なき追求:完璧を目指す姿勢
- 継続的改善:小さな改良の積み重ね
- 国際協力:文化を超えた技術交流
人材育成の重要性:
- 基礎教育の充実:理論的基盤の確立
- 実践的経験:現場での技術習得
- メンター制度:先輩から後輩への指導
- 国際的視野:グローバルな技術動向の理解
組織運営の要点:
- 長期的視点:短期利益よりも技術蓄積
- 現場主義:実際の状況に基づく判断
- チームワーク:個人よりも組織の力
- リスクテイク:新技術への果敢な挑戦
日本のIT産業は現在、AI、量子技術、バイオテクノロジーなどの新分野で再び世界をリードする機会を得ている。その成功の鍵は、嶋正利と高橋秀俊が示した「ものづくり精神」の現代的応用にある。
この章のポイント
キーワード
- マイクロプロセッサ:小型で汎用性の高い処理装置
- 製造技術:高品質な製品を効率的に生産する技術
- 国際協力:文化・国境を超えた技術開発
現代への影響
- モバイル技術:スマートフォンやタブレットの心臓部
- IoT・組み込みシステム:あらゆる機器のインテリジェント化
- 製造業のデジタル化:Industry 4.0、スマートファクトリー
ビジネスへの示唆
- 技術力と製造力の融合:優れた設計と高品質な製造の両立
- 長期的な人材育成:継続的な技術者教育への投資
- 国際協力の重要性:文化の違いを超えた技術交流
- 現場主義の価値:実際の状況に基づく改善活動
この章で描いた日本の技術者たちの物語は、技術革新が単なる個人の天才ではなく、文化的背景、教育システム、組織的取り組みの総合的な結果であることを示している。嶋正利の「諦めない心」と高橋秀俊の「技術への情熱」は、現代の日本企業が直面するグローバル競争においても重要な指針となる。
次章では、このアジアでの技術革新の流れがアメリカに戻り、どのように「美」と「技術」を融合させた革命を生み出したかを見ていく。