第3章:コンピュータに言葉を教えた海軍少将
〜グレース・ホッパー(1906-1992)〜
ドラマチックな導入
1947年9月9日、午後3時45分。ハーバード大学計算実験室で、世界初の「コンピュータバグ」が発見された瞬間だった。
巨大なコンピュータ「Harvard Mark II」が突然動作を停止した。室内には機械の冷却音だけが響いている。技術者たちが原因を探る中、一人の女性が冷静にリレー接点を調べていた。
「ここです」—グレース・ホッパー海軍中佐が声を上げた。リレーの接点に、小さな蛾が挟まっていた。彼女は蛾を取り除き、それをテープで日誌に貼り付けながら書いた:「First actual case of bug being found(初の実際のバグ発見例)」
この日から、コンピュータの不具合は「バグ」と呼ばれるようになった。しかし、グレースが本当に「発見」したのは、虫ではなかった。それは、「人間とコンピュータが対話するための新しい言語」という、はるかに重要な概念だった。
「なぜコンピュータは、0と1しか理解できないのか?人間が話す言葉で命令できたらどんなに素晴らしいだろう」—グレースは考えた。そして彼女は、この夢を現実に変えた。
あなたが今使っているプログラム、スマートフォンのアプリ、ウェブサイト。これら全てが、一人の女性が1950年代に抱いた「コンピュータを英語で話させたい」という夢から始まっている。
3.1 数学の才能を開花させた女性
ヴァッサー大学での数学研究
1906年12月9日、グレース・ブリュースター・マレーは、ニューヨーク市で生まれた。父ウォルター・フレッチャー・マレーは保険会社の上級役員、母メアリー・キャンベル・ヴァン・ホーンは数学と語学に造詣の深い女性だった。
グレースの数学的才能は、幼い頃から際立っていた。7歳の時、彼女は目覚まし時計7個を分解して、その仕組みを理解しようとした。「なぜこの小さな機械が正確に時を刻むのか知りたかった」と、後に彼女は回想している。
1924年、グレースはヴァッサー大学に進学した。ヴァッサー大学は、当時アメリカで最も優れた女子大学の一つで、女性の高等教育において先進的な役割を果たしていた。
大学でグレースは数学と物理学を専攻した。彼女の学業成績は常にトップクラスで、特に数学の抽象的概念を理解する能力は、教授たちを驚かせた。卒業時には、数学と物理学の両方で最優秀の成績を収めた。
1928年、グレースはヴァッサー大学を卒業し、イェール大学大学院に進学した。当時、女性が数学の博士号を取得することは極めて稀だった。アメリカ全土でも、女性の数学博士は年間数人程度しかいなかった。
結婚と教育者としての道
1930年、グレースはヴィンセント・フォスター・ホッパーと結婚し、「グレース・ホッパー」となった。夫のヴィンセントは英語学の教授で、文学と言語学に深い造詣を持っていた。
この結婚は、グレースの知的発展に大きな影響を与えた。数学の論理性と言語の表現力—この二つの分野の融合が、後に彼女の最大の貢献となる「プログラミング言語」の開発につながることになる。
1934年、グレースはイェール大学で数学の博士号を取得した。博士論文のテーマは「既約代数多様式の新分類」という高度に抽象的な内容だった。しかし、この理論的基盤が、後にコンピュータプログラムの構造を理解する上で重要な役割を果たすことになる。
博士号取得後、グレースはヴァッサー大学の数学科で教鞭をとった。彼女は学生たちに、数学の美しさと実用性の両方を教えようとした。「数学は抽象的な概念ですが、現実世界の問題を解決する最も強力な道具でもあります」—これが彼女の教育哲学だった。
第二次大戦、海軍への志願
1941年12月7日、真珠湾攻撃によりアメリカが第二次世界大戦に参戦した。グレースの私生活にも大きな変化が起こった。1945年、夫ヴィンセントとの離婚が成立し、彼女は再び独身となった。
戦争の拡大とともに、グレースは祖国に貢献したいという強い気持ちを抱くようになった。1943年12月、37歳のグレースは米海軍予備役への入隊を志願した。
当時の海軍では、女性の役割は限定的だった。看護師、事務職、通信兵などの「補助的」な職務に限られていた。しかし、戦争の激化により、海軍は新しい人材を必要としていた。特に、複雑な計算を要する砲撃計算や航海計算において、数学的専門知識を持つ人材が求められていた。
グレースの数学的能力は、すぐに海軍の注目を集めた。彼女は海軍兵学校での訓練を首席で修了し、少尉に任官された。そして1944年7月、グレースはハーバード大学計算実験室に配属された。
この配属が、コンピュータ史上最も重要な出会いの一つを生むことになる。
[コラム:1940年代の女性とキャリア]
1940年代のアメリカでは、女性のキャリア選択肢は極めて限られていた。特に科学技術分野では、「女性には向かない」という偏見が根強く存在していた。
当時の女性の一般的な進路:
- 結婚・家庭:最も「望ましい」とされた道
- 教育職:小学校・中学校教師(「女性らしい」職業)
- 看護師:医療分野で認められた数少ない専門職
- 事務職:秘書、タイピスト(「補助的」な役割)
科学技術分野で活躍する女性は、マリー・キュリーなど極めて例外的な存在だった。グレースが数学博士号を取得し、大学で教鞭をとったことは、当時としては革命的な出来事だった。
第二次世界大戦は、皮肉なことに女性の社会進出を促進した。男性が戦場に赴く中、女性が「男性の仕事」を担うことが必要になったからである。この戦時中の経験が、戦後の女性解放運動の土台となった。
3.2 Mark Iとの出会い
ハーバード大学計算実験室
1944年7月2日、グレース・ホッパー少尉はハーバード大学の建物の前に立っていた。計算実験室があるという建物は、外見上は普通の学術施設に見えた。しかし、内部には人類史上最も野心的な機械の一つが待っていた。
実験室のドアを開けた瞬間、グレースは圧倒された。目の前にあったのは、長さ15メートル、高さ2.5メートルの巨大な機械だった。「Harvard Mark I」—正式名称「Automatic Sequence Controlled Calculator」。
Mark Iは、IBM の支援を受けてハワード・エイケンが設計した、世界初の大型自動計算機だった。765,000個の部品、500マイルの電線、3,000個のリレーから構成される機械の怪物だった。
機械の動作音は、まるで「巨大な編み物機」のようだった。カチカチという機械的なリズムが実験室に響き、時折「チーン」という鐘の音が計算の完了を告げていた。
「これがMark Iです」—ハワード・エイケン司令官がグレースに紹介した。「この機械で、砲撃軌道の計算を行います。あなたの仕事は、この機械にプログラムを与えることです」
グレースは困惑した。「プログラム」という概念自体が、当時はまだ明確に定義されていなかった。機械に「命令」を与えるとは、具体的に何をすることなのか?
世界初の大型自動計算機Mark I
Mark Iの構造は、現代のコンピュータとは大きく異なっていた。しかし、その基本的な考え方は、現在でも通用するものだった。
Mark Iの主要構成:
- 入力装置:穿孔テープとカード
- 記憶装置:72個の加算器と60個の定数設定器
- 演算装置:加減乗除の機械的実行部
- 制御装置:命令の順序を制御する部分
- 出力装置:電動タイプライターと穿孔機
Mark Iは完全に「機械的」だった。電子部品は使用されておらず、すべてがリレーと歯車で構成されていた。そのため、動作速度は現代の基準では極めて遅く、単純な足し算でも0.3秒、掛け算には6秒を要した。
しかし、Mark Iには革命的な特徴があった:自動実行である。一度プログラムをセットすれば、人間の介入なしに長時間計算を続けることができた。これまでの計算機は、各ステップで人間が操作する必要があったが、Mark Iは「自分で考えて」計算を進めることができた。
機械語プログラミングの困難さ
グレースの最初の仕事は、Mark Iに「話しかける」方法を理解することだった。機械は数字しか理解せず、すべての命令は数値コードで表現する必要があった。
Mark Iの命令形式:
01: 数値を読み込む
02: 数値を記憶装置に保存
10: 加算を実行
11: 減算を実行
20: 乗算を実行
30: 結果を出力
例えば、「2 + 3 = 5」という単純な計算でも、以下のような長い命令列が必要だった:
命令1: 01-000-002 (数値「2」を読み込む)
命令2: 02-001-000 (記憶装置1番に保存)
命令3: 01-000-003 (数値「3」を読み込む)
命令4: 02-002-000 (記憶装置2番に保存)
命令5: 10-001-002 (記憶装置1番と2番を加算)
命令6: 30-000-000 (結果を出力)
複雑な計算になると、何千行もの命令が必要だった。しかも、一つでも間違いがあると、計算全体が失敗してしまう。
グレースは、この作業の非効率性に気づいた。「なぜ機械は、もっと人間らしい言葉を理解できないのだろうか?」
「コンピュータのデバッグ」語源となった蛾事件
1947年9月9日の「蛾事件」は、グレースのキャリアにおける象徴的な出来事となった。しかし、この事件の真の意味は、「バグ」という言葉の語源を作ったことではない。
その日、Mark IIの故障を調べていたグレースは、単なる機械的問題を発見したのではなく、より深い問題に気づいていた。コンピュータが期待通りに動作しない理由の多くは、機械の故障ではなく、人間が書いた「プログラム」の間違いにあった。
グレースは「デバッグ」という概念を拡張した:
- ハードウェアのデバッグ:機械的故障の修理
- ソフトウェアのデバッグ:プログラムの論理的誤りの修正
この発想が、後の「プログラミング工学」の基礎となった。プログラムは単なる命令の列ではなく、論理的構造を持つ「作品」である。そして、その作品には必然的に間違いが含まれるため、それを見つけて修正する体系的な方法が必要である。
[図解:Mark Iの構造と動作原理]
Mark I の全体構成:
┌─────────────┐ ┌─────────────┐ ┌─────────────┐
│ 入力装置 │ │ 制御装置 │ │ 演算装置 │
│ (穿孔テープ) │────►│ (命令解読) │────►│ (四則演算) │
└─────────────┘ └─────────────┘ └─────────────┘
│ │
▼ ▼
┌─────────────┐ ┌─────────────┐ ┌─────────────┐
│ 出力装置 │◄───│ 記憶装置 │◄───│ 演算結果 │
│ (タイプライター)│ │(72個の加算器)│ │ │
└─────────────┘ └─────────────┘ └─────────────┘
動作の流れ:
1. 穿孔テープから命令を読み取り
2. 制御装置が命令を解釈
3. 必要なデータを記憶装置から取得
4. 演算装置で計算実行
5. 結果を記憶装置に保存または出力
プログラム例(2 + 3の計算):
○○●○○●○● ← 穿孔テープのパターン(命令1)
●○○●●○○○ ← 穿孔テープのパターン(命令2)
... (以下続く)
チームワークと女性プログラマーたち
ハーバード大学計算実験室には、グレース以外にも多くの女性プログラマーが働いていた。戦時中の人手不足により、数学的才能を持つ女性たちが積極的に採用されていたのである。
主要なメンバー:
- ベティ・ホルバートン:後にENIACのプログラミングでも活躍
- マージョリー・アンドリュース:複雑な微分方程式の計算を担当
- ルース・リヒターマン:弾道計算の専門家
彼女たちは単なる「計算員」ではなく、プログラムの設計者だった。複雑な数学的問題を、Mark Iが理解できる命令列に翻訳する—この作業には、数学的知識だけでなく、論理的思考力と創造性が必要だった。
グレースは、このチームの「精神的リーダー」となった。彼女は技術的な問題解決だけでなく、チーム全体のモチベーション向上にも貢献した。
「私たちは歴史を作っているのです」—グレースはチームメンバーによく言っていた。「いつの日か、機械が人間のように考え、人間の言葉を理解するようになる。そのための基礎を、私たちが築いているのです」
1945年8月、第二次世界大戦が終結した。軍事目的でのMark I使用も終了した。しかし、グレースにとって、本当の戦いはこれから始まるところだった—コンピュータと人間の間の「言語の壁」を打ち破る戦いが。
3.3 コンパイラという革命的発明
A-0システムの開発
1949年、グレースはハーバード大学からエッカート・モークリー・コンピュータ・コーポレーション(EMCC、後にユニヴァック・ディビジョンとしてレミントン・ランド社に統合)に移籍した。この会社では、ENIAC の後継機である UNIVAC I の開発が進行中だった。
UNIVAC I は、Mark I よりもはるかに高速で強力なコンピュータだった。しかし、プログラミングの問題は依然として残っていた。機械語による命令は、Mark I の時代から本質的に変わっていなかった。
グレースは、この根本的な問題に取り組むことを決意した。「なぜプログラマーは、毎回同じような命令列を一から書かなければならないのか?よく使われるプログラムの部品を保存しておき、それを組み合わせて新しいプログラムを作れないだろうか?」
この発想から生まれたのが、世界初の「コンパイラ」である A-0 システムだった。
A-0 システムの革新性:
- サブルーチン・ライブラリ:よく使用される計算手順を部品として保存
- 自動アセンブリ:部品を組み合わせて完全なプログラムを生成
- 記号的アドレッシング:数値アドレスの代わりに名前を使用
- エラー検出:プログラムの間違いを自動的に発見
「コンピュータを英語で話させたい」という夢
A-0 システムは大きな進歩だったが、グレースの野心はそれで満足しなかった。彼女には、より大胆な夢があった:「コンピュータが英語を理解するようにしたい」
1952年、グレースは上司のジョン・エッカート(ENIACの共同開発者)にアイデアを提案した:
「コンピュータが『ADD SALARY TO TOTAL』(給料を合計に加える)といった英語の文を理解できるようなプログラムを作りたいのです」
エッカートの反応は冷ややかだった:「不可能です、グレース。コンピュータは数字しか理解できません。英語なんて夢物語です」
しかし、グレースは諦めなかった。彼女には確信があった。ヴァッサー大学時代に学んだ言語学の知識、イェール大学での数学の訓練、そしてMark I での実践的経験—これらすべてが、この夢の実現可能性を示していた。
1954年、グレースは「Short Code」というシステムを開発した。これは、英語に近い記号的表現でプログラムを書けるシステムだった:
従来の機械語:
10 47 0003
11 47 0004
07 50 0005
Short Code:
X3 = Y + Z
IF X3 > 100 THEN GOTO LABEL1
PRINT X3
Short Code は世界初の「高級言語」の原型だった。しかし、実行速度が遅いという問題があった。当時のコンピュータでは、Short Code のプログラムは機械語の50分の1の速度でしか動作しなかった。
FLOW-MATICからCOBOLへ
1955年、グレースはさらに野心的なプロジェクトを開始した:「FLOW-MATIC」の開発である。これは、ビジネス用途に特化した初の実用的なプログラミング言語だった。
FLOW-MATIC の特徴:
- 英語風の構文:
ADD GROSS-PAY TO YEAR-TO-DATE-EARNINGS
- データ定義:変数の型と構造を明確に定義
- ファイル処理:大量のビジネスデータの処理に最適化
- 実用的な速度:機械語と比較可能な実行速度
FLOW-MATIC のサンプルプログラム:
INPUT INVENTORY FILE-A PRICE FILE-B ; OUTPUT PRICED-INVENTORY FILE-C.
HSP D.
COMPARE PRODUCT-NO (A) WITH PRODUCT-NO (B) ; IF GREATER GO TO OPERATION 10 ;
IF EQUAL GO TO OPERATION 5 ; OTHERWISE GO TO OPERATION 2.
TRANSFER A TO D.
WRITE-ITEM D.
JUMP TO OPERATION 8.
TRANSFER A TO D.
MOVE UNIT-PRICE (B) TO UNIT-PRICE (D).
WRITE-ITEM D.
JUMP TO OPERATION 8.
この言語は、プログラミングの専門知識がないビジネスマンでも理解できるように設計されていた。グレースの目標は、「プログラミングの民主化」だった。
1957年、FLOW-MATIC の成功を受けて、アメリカ国防総省は画期的な決定を下した:統一的なビジネス用プログラミング言語の開発である。このプロジェクトのリーダーに選ばれたのは、当然グレース・ホッパーだった。
プログラミングの民主化
1959年、新しいプログラミング言語「COBOL(Common Business Oriented Language)」が完成した。COBOL は、グレースの長年の夢—「コンピュータが英語を理解する」—を実現した言語だった。
COBOL の革新的特徴:
- 自然言語風の構文:英語の文章に近い記述
- 自己文書化:プログラム自体が仕様書の役割
- 移植性:異なるコンピュータで同じプログラムが動作
- 大規模データ処理:企業の業務システムに最適化
COBOL プログラムの例:
IDENTIFICATION DIVISION.
PROGRAM-ID. PAYROLL-CALCULATION.
DATA DIVISION.
WORKING-STORAGE SECTION.
01 EMPLOYEE-RECORD.
05 EMPLOYEE-NAME PIC X(30).
05 HOURS-WORKED PIC 9(3)V9.
05 HOURLY-RATE PIC 9(3)V99.
05 GROSS-PAY PIC 9(5)V99.
PROCEDURE DIVISION.
CALCULATE-PAY.
MULTIPLY HOURS-WORKED BY HOURLY-RATE GIVING GROSS-PAY.
DISPLAY "Employee: " EMPLOYEE-NAME " Gross Pay: " GROSS-PAY.
このプログラムは、プログラミングの知識がない人でも、何をしているかを理解できる。グレースの「プログラミング民主化」の理想が実現されていた。
企業でのコンピュータ利用拡大
COBOL の登場は、企業におけるコンピュータ利用を劇的に拡大させた。それまでコンピュータは、科学計算や軍事目的にしか使われていなかった。しかし、COBOL により、一般企業でも実用的なビジネスシステムを構築できるようになった。
COBOL 普及前(1950年代前半):
- コンピュータ台数:世界で数百台
- 用途:科学計算、軍事計算
- プログラマー:専門的な数学者・工学者のみ
COBOL 普及後(1960年代):
- コンピュータ台数:世界で数万台
- 用途:給与計算、在庫管理、会計処理
- プログラマー:一般のビジネスマンも参加
グレースは、この変化を誇りに思っていた。「コンピュータは、一部の専門家だけのものではありません。すべての人が利用できる道具なのです」
[現代との接続:現在のプログラミング言語の進化]
グレースが1950年代に始めた「プログラミング言語の高級化」は、現在まで続いている。
プログラミング言語の進化:
機械語(1940年代):
10110000 01000001 // 数値をレジスタに読み込み
アセンブリ言語(1950年代):
MOV AX, 65 // 数値をレジスタに読み込み
COBOL(1959年):
ADD HOURS-WORKED TO TOTAL-HOURS
C言語(1972年):
total_hours += hours_worked;
Python(1991年):
total_hours += hours_worked
自然言語風プログラミング(2020年代):
Add the hours worked to the total hours
グレースの夢—「コンピュータが自然言語を理解する」—は、AI技術の発展により、現在ついに実現されつつある。ChatGPTなどの大規模言語モデルは、自然言語の指示からプログラムコードを生成できる。
現代の「ノーコード/ローコード」開発ツールも、グレースの「プログラミング民主化」の理想を受け継いでいる。専門的なプログラミング知識がなくても、視覚的なインターフェースでアプリケーションを開発できるようになった。
標準化への貢献
グレースは、COBOL の技術的開発だけでなく、その「標準化」にも重要な貢献をした。彼女は、異なるコンピュータメーカーが独自の言語を開発することの危険性を理解していた。
「もし各社が独自の言語を作れば、プログラムの互換性がなくなってしまいます。これは業界全体にとって大きな損失です」
グレースの提唱により、COBOL は以下の原則で開発された:
- オープンスタンダード:特定企業の所有物ではない
- 移植性:異なるコンピュータで同じプログラムが動作
- 後方互換性:新バージョンでも古いプログラムが動作
- 国際標準:世界中で統一的に使用
この標準化の考え方は、現代のソフトウェア開発における基本原則となっている。HTML、HTTP、TCP/IP など、インターネットの基盤技術はすべてオープンスタンダードとして開発されている。
3.4 COBOL開発と標準化への貢献
国防総省での標準化作業
1959年、COBOL の仕様が確定した後、グレースの仕事はさらに重要な段階に入った:世界的な標準化である。アメリカ国防総省は、COBOL を軍や政府機関の標準言語として採用することを決定していた。しかし、それを実現するためには、厳密な仕様定義と品質保証が必要だった。
グレースは「COBOL 標準化委員会」の中心人物として、以下の課題に取り組んだ:
技術的課題:
- 言語仕様の曖昧性排除
- 異なるコンピュータでの互換性確保
- エラー処理の標準化
- 性能最適化の指針策定
組織的課題:
- 競合するコンピュータ会社間の調整
- 政府機関と民間企業の利害調整
- 国際的な協力体制の構築
- 教育・普及戦略の策定
この作業は、現代の「オープンソース・ガバナンス」の先駆けとなる取り組みだった。グレースは、技術的リーダーシップと同時に、政治的調整能力も発揮する必要があった。
産業界との協力
COBOL の成功には、民間企業の協力が不可欠だった。グレースは、競合関係にある各社を説得し、共通の利益を見出させる必要があった。
主要な協力企業:
- IBM:最大手のコンピュータメーカー
- バロウズ:大型コンピュータの専門企業
- ハネウェル:制御システムの老舗
- GE:新興のコンピュータ事業
- RCA:エレクトロニクスの総合メーカー
各社は、当初自社独自の言語開発を希望していた。「なぜ統一言語が必要なのか?」という疑問に対し、グレースは説得力のある論理を展開した:
市場拡大効果: 「統一言語により、プログラマーの教育コストが削減され、コンピュータ市場全体が拡大します。各社の売上も増加するでしょう」
顧客利益: 「企業は、特定のコンピュータメーカーに縛られることなく、最適なシステムを選択できるようになります」
技術革新促進: 「言語の互換性が確保されれば、各社はハードウェアの性能向上に集中できます」
ビジネス向けプログラミング言語の誕生
COBOL の開発過程で、グレースは「ビジネス向けプログラミング」という新しい分野を創出した。それまでプログラミング言語は、科学計算か軍事計算のために設計されていた。しかし、ビジネス用途では、異なる要求があった:
科学計算言語(FORTRANなど)の特徴:
- 高精度な数値計算
- 複雑な数式の表現
- 大量の計算処理
ビジネス用言語(COBOL)の特徴:
- 大量のデータ処理
- レポート生成機能
- データベース操作
- 読みやすい記述
グレースは、ビジネス分野特有の概念を言語に組み込んだ:
データ構造:
01 CUSTOMER-RECORD.
05 CUSTOMER-NUMBER PIC 9(6).
05 CUSTOMER-NAME PIC X(30).
05 ADDRESS.
10 STREET-ADDRESS PIC X(50).
10 CITY PIC X(20).
10 STATE PIC XX.
10 ZIP-CODE PIC 9(5).
05 CREDIT-LIMIT PIC 9(7)V99.
ビジネス計算:
COMPUTE COMMISSION = SALES-AMOUNT * COMMISSION-RATE.
IF SALES-AMOUNT > QUOTA
THEN ADD BONUS TO COMMISSION.
レポート生成:
WRITE REPORT-LINE FROM CUSTOMER-DETAIL-LINE
AFTER ADVANCING 1 LINE.
21世紀まで続くCOBOLの影響
2024年現在、COBOL は65年を経ても現役で使用されている。この驚異的な長寿命は、グレースの設計思想の正しさを証明している。
現在でもCOBOLが使用されている分野:
- 銀行システム:ATM、オンラインバンキング
- 保険業界:契約管理、支払い処理
- 政府機関:税務処理、社会保障システム
- 航空業界:予約システム、運航管理
- 小売業:POS システム、在庫管理
COBOL が長期間使用される理由:
- 堅牢性:バグが少なく、安定して動作
- 保守性:読みやすく、修正が容易
- 大規模データ処理:膨大な取引データを効率的に処理
- 互換性:古いシステムとの互換性を維持
- 教育コスト:既存プログラマーの知識活用
現代における課題:
- 技術者の高齢化:COBOL を習得した若手プログラマーの不足
- モダンツールとの統合:Web技術、クラウドとの連携
- セキュリティ:現代のサイバー攻撃への対応
この課題に対し、最近では「COBOL の現代化」プロジェクトが各地で進行中である。グレースの遺産を21世紀の技術環境に適応させる取り組みが続いている。
[図解:COBOL プログラムの構造]
COBOL プログラムの4つの部門(DIVISION):
┌─────────────────────────────────────┐
│ IDENTIFICATION DIVISION │
│ プログラムの識別情報 │
│ - プログラム名 │
│ - 作成者 │
│ - 作成日 │
└─────────────────────────────────────┘
│
▼
┌─────────────────────────────────────┐
│ ENVIRONMENT DIVISION │
│ 実行環境の定義 │
│ - 使用するコンピュータ │
│ - ファイルの割り当て │
└─────────────────────────────────────┘
│
▼
┌─────────────────────────────────────┐
│ DATA DIVISION │
│ データ構造の定義 │
│ - ファイル構造 │
│ - 変数の定義 │
│ - レコード形式 │
└─────────────────────────────────────┘
│
▼
┌─────────────────────────────────────┐
│ PROCEDURE DIVISION │
│ 処理手順の記述 │
│ - ビジネスロジック │
│ - 計算処理 │
│ - 入出力制御 │
└─────────────────────────────────────┘
例:給与計算システム
IDENTIFICATION DIVISION.
PROGRAM-ID. PAYROLL-SYSTEM.
DATA DIVISION.
01 EMPLOYEE-REC.
05 EMP-NAME PIC X(20).
05 BASIC-PAY PIC 9(6)V99.
05 OVERTIME PIC 9(3)V9.
05 GROSS-PAY PIC 9(7)V99.
PROCEDURE DIVISION.
CALCULATE-GROSS-PAY.
COMPUTE GROSS-PAY = BASIC-PAY + (OVERTIME * 1.5 * HOURLY-RATE).
国際的な普及と標準化機関
COBOL の成功により、グレースは国際的なプログラミング言語標準化の重要人物となった。彼女は以下の国際機関で活動した:
ANSI(American National Standards Institute):
- COBOL 標準化委員会の委員長
- 言語仕様の正式文書化
- 互換性テストの策定
ISO(International Organization for Standardization):
- 国際標準としてのCOBOL 認定
- 各国での実装指針
- 将来拡張の方向性決定
IEEE(Institute of Electrical and Electronics Engineers):
- ソフトウェア工学の方法論確立
- プログラミング言語設計の理論化
- 教育カリキュラムの標準化
グレースの標準化への貢献は、現代のソフトウェア業界の基盤となっている。現在のWeb標準(HTML、CSS、JavaScript)、通信プロトコル(HTTP、TCP/IP)、プログラミング言語仕様なども、すべてグレースが確立した標準化プロセスの延長線上にある。
3.5 「許可より謝罪の方が簡単」の哲学
組織変革への取り組み
1960年代後半、グレースは技術的貢献だけでなく、組織運営の分野でも革新的なアプローチを示した。彼女の最も有名な格言「許可を求めるより、謝罪する方が簡単だ(It’s easier to ask for forgiveness than it is to get permission)」は、この時期に生まれた。
海軍でのグレースの階級は着実に上がっていた。1966年に中佐、1973年に大佐に昇進し、最終的には1983年に准将(後に少将)に昇進した。しかし、彼女の革新的な発想は、しばしば軍の保守的な官僚制度と衝突した。
典型的な軍の意思決定プロセス:
- 提案書の作成
- 上司への報告
- 委員会での検討
- 上級司令部での審議
- 最終承認(数ヶ月〜数年)
グレースのアプローチ:
- アイデアの実証実験
- 結果の提示
- 事後承認の取得
この手法は、特に急速に変化する技術分野では有効だった。従来の承認プロセスでは、技術の進歩に組織の対応が追いつかなかったからである。
技術普及のための教育活動
1970年代から、グレースは積極的な教育・普及活動を開始した。彼女の目標は、コンピュータ技術を一般社会に広めることだった。
講演活動:
- 年間300回以上の講演
- 対象:大学、企業、政府機関、一般市民
- テーマ:コンピュータの将来性、プログラミング教育、女性の社会進出
教育プログラムの開発:
- 非技術者向けのコンピュータ入門コース
- 経営者向けの情報システム戦略セミナー
- 女性技術者育成プログラム
メディア出演:
- テレビ番組での技術解説
- 雑誌記事の執筆
- 新聞インタビュー
グレースの教育活動は、単なる技術普及にとどまらなかった。彼女は、コンピュータ技術が社会に与える影響について、深い洞察を示していた。
グレースの予言(1970年代の発言):
- 「将来、すべての家庭にコンピュータが普及するでしょう」
- 「コンピュータは電話のように、日常生活の一部となります」
- 「人々は世界中の情報に瞬時にアクセスできるようになります」
- 「コンピュータが言語の壁を取り除き、世界中の人々が簡単に意思疎通できるようになります」
86歳まで現役で活躍した情熱
1986年8月14日、グレース・ホッパーは79歳で海軍を退役した。これは海軍史上最高齢での現役勤務記録だった。退役式では、駆逐艦「USS ホッパー」が彼女の栄誉を称えて命名されることが発表された。
しかし、グレースの活動は退役後も続いた。彼女はDEC(Digital Equipment Corporation)のシニア・コンサルタントとして、コンピュータ業界での活動を継続した。
退役後の主な活動:
- 技術コンサルティング:企業の情報化戦略支援
- 講演活動:年間200回以上の講演を継続
- 教育支援:大学でのゲスト講義、カリキュラム開発
- 業界標準化:新技術の標準化作業への参加
- メンタリング:若い技術者、特に女性エンジニアの指導
1992年1月1日、グレース・ホッパーは85歳で永眠した。彼女の葬儀には、軍関係者、コンピュータ業界の重鎮、教育関係者、そして彼女に影響を受けた無数の技術者たちが参列した。
[現代に受け継がれるグレースの遺産]
技術的遺産:
- プログラミング言語:COBOL は現在でも使用される
- コンパイラ技術:すべての現代プログラミング言語の基盤
- ソフトウェア工学:デバッグ、テスト、保守の方法論
教育的遺産:
- プログラミング教育:体系的なコンピュータ教育の確立
- 技術普及:一般市民への技術啓発活動
- 女性エンジニア支援:STEM分野での女性参加促進
組織運営の遺産:
- イノベーション手法:「許可より謝罪」のアプローチ
- 標準化プロセス:業界標準策定の方法論
- チームワーク:多様な専門家の協働体制
現代のIT業界におけるグレースの影響:
シリコンバレーの企業文化:
- Facebook の「Move Fast and Break Things」
- Google の「20% ルール」(勤務時間の20%を自由研究に)
- Amazon の「Day 1 カルチャー」(スタートアップ精神の維持)
オープンソース運動:
- Linux、Apache、Python などのオープンソースプロジェクト
- GitHub によるコラボレーション文化
- 標準化団体での協働開発
多様性・包括性の促進:
- Women in Tech コミュニティ
- Grace Hopper Celebration(女性技術者の世界最大会議)
- STEM 教育での女性参加促進プログラム
現代の「グレース・ホッパー」たち
現代のIT業界には、グレースの精神を受け継ぐ女性リーダーたちが多数活躍している:
フェイ・フェイ・リー:
- Stanford AI Lab の元ディレクター
- ImageNet データセットの開発者
- AI の民主化を提唱
レシュマ・サウジャニ:
- Girls Who Code の創設者
- プログラミング教育の女性参加促進
- 「完璧主義から勇気ある挑戦へ」を提唱
サフラ・カッツ:
- Oracle の共同CEO
- エンタープライズソフトウェアの革新者
- 女性経営者のロールモデル
ルーシー・サンダース:
- National Center for Women & Information Technology 共同創設者
- 技術分野での性別格差解消に取り組み
- STEM教育の改革を推進
グレース・ホッパーが1940年代に始めた「コンピュータの民主化」の夢は、現在もこれらの女性リーダーたちによって受け継がれ、発展し続けている。
この章のポイント
キーワード
- コンパイラ:高級言語を機械語に翻訳するプログラム
- プログラミング言語:人間がコンピュータに指示を与えるための言語
- 標準化:異なるシステム間での互換性確保
現代への影響
- ソフトウェア開発環境:すべての現代開発ツールの基盤
- 業務システム:企業の基幹システムの多くがCOBOLベース
- 技術標準化:オープンスタンダードによる技術発展
ビジネスへの示唆
- 技術の普及と標準化の重要性:市場拡大と生産性向上
- 多様な専門家の協働体制:異分野融合によるイノベーション
- 長期的視点での人材育成:教育への継続的投資
- 組織変革のリーダーシップ:「許可より謝罪」の実行力
グレース・ホッパーの物語は、技術的イノベーションと社会変革が、一人の情熱ある個人の努力によってどれほど大きな影響を与えられるかを示している。彼女が1950年代に始めた「プログラミングの民主化」は、現在のノーコード/ローコード開発、AI支援プログラミングの時代まで続く一貫したテーマである。
次章では、このアメリカでの技術革新の流れが太平洋を越え、日本の技術者たちがどのように世界のコンピュータ技術発展に貢献したかを見ていく。